日本でも『人生会議』という言葉ができ、死に方や死ぬまでの過程を考えるということが注目されるようになってきたのかなと感じます。
少し古いのですが以前読んだ本の内容を思い出しました。
欧米の医学生ならだれもが学ぶという『ハリソン内科学』では「死期が迫っているから食べないのであり、食べないことが死の原因になるのではない」と書かれているそうです。
日本では未だに「食べさせない(点滴をしない)で殺す気か」とおっしゃられるご家族がいます。少数ではなく結構います。
そもそもの感覚が違うのですね。
医師も最近では終末期や死生観について学ぶようになっていますが、若くない医師たちは学んでいません。
やはり、自然な死や治療、延命への感覚が違います。
そして、本当に福祉国家のデンマークやスウェーデンだけでなく、イギリス、アメリカ、オーストラリアなどには日本のように寝たきり老人はいません。
理由は、高齢者が終末期を迎えると食べられなくなることは当たり前で人工栄養(点滴、経管栄養など)で延命を図ることは倫理に反すると国民が認識しているからです。
また、肺炎を起こしても日本のように抗生物質の注射もせず、内服投与のみのようです。
両手を拘束されることもなく寝たきりになる前に亡くなられます。
日本がいいのか、欧米がいいのかはわかりませんが人間の尊厳とは何なのでしょうか?
海外と比べて自然に逝かせるのではなく、日本では多くのケースで意識がなくても点滴や経管栄養で生かし続けることが選ばれます。
国によっては終末期の治療の選択は家族ではなく、専門職である医師が担っている国もあります。
本を読みながらなんとなくですが、国民性として欧米諸国の方が個人が自立していたり、人生そのものが『家族のため』にあるのではなく『自分のもの』であり、有意義な生活を送ることに重点が置かれているからなのかな?とも思いました。
日本では死ぬ時まで自分の尊厳ではなくて家族であったりの世間体にとらわれているのかなと思うと何とも言えない気持ちです。
『欧米に寝たきり老人はいない』宮本顕二、宮本礼子(中央公論新社 2015年)